東京六花街の中でも浅草は最も観光地化された場所として有名です。
それ故、浅草の花柳界は様々な人達に対して最も開けた場所であると言われています。
昭和23年に創業された都鳥は東京浅草組合(浅草芸者の組合)に属する八軒の料亭の内の一つです。
中でも当亭は待合茶屋の形態をとる唯一の料亭として多くの方々からご愛顧頂いております。
祖父は新派の役者、母が芸者という家庭に育ち6才の6月6日から踊り・清元を習い始める。
15才で半玉としてお披露目してから27年間芸者を続けた後、当料亭の女将となる。
「在原業平の伊勢物語にこんな歌があります。
*名にしおわば いざ事問はむ都鳥 わが想う人は 在りや亡しやと。
おいで下さったお客様にはこんな風に思われる料亭であり続けたいと思っております。」
*歌の意味
都という名にふさわしい鳥であれば尋ねよう、都鳥よ 私が恋しく思う人は無事でいるかと